日本のお仏壇は、日本書紀第二十九の段に、「詔して諸国家毎に仏舍を作り、乃ち仏像及び経を置き、以て礼拝供養せしむとのたまふ。」とあり、この天武天皇の詔(685年3月)に始まると言われています。しかし、これは貴族や有力氏族の間でのことであって、まだまだ一般民衆の間にお仏壇が安置され、仏教が信仰されていたのではありません。
平安時代の天台宗・真言宗の広がりの後、仏教界最大の改革期である鎌倉時代に生まれた浄土系、禅宗系などの各宗が、一般民衆の救済(生死の苦悩からの解放)を説き、日本の仏教は最盛期を迎えました。しかし、この時でもまだ一般民衆の家庭にお仏壇が広まっていたわけではありません。
一般民衆の家に仏壇が置かれるようになるのは、時代が下って江戸時代となります。その背景は、キリスト教徒への弾圧にありました。
江戸幕府は、1612(慶長17)年にキリスト教禁止令を出し、キリスト教徒でない証明を寺院が行う檀家制度を徹底しました。このような施策により仏教が国教化して、全国の寺院の多くが江戸幕府の行政の一部を担うようになったのです。ここに民衆を管理するための「家の宗教」としての仏教体制が確立し、一般の家にお仏壇が置かれるようになりました。
しかし、体制の中に組み込まれた寺院と民衆との間には、厳しい上下関係が生まれました。鎌倉時代に起こったダイナミックに人々の救済を説く仏教の本来のあり方が薄らぎ、「家の宗教」として檀家を管理するために、先祖への追善や、家の繁栄・自らへの加護等の現世利益を中心とした仏教へと変節しました。その「家の宗教」としての仏教信仰は、現在まで受け継がれてきています。
しかし今、檀家制度の中で生まれた仏教信仰やお仏壇は大きくゆらぎ始めています。家父長制の崩壊と共に、お仏壇やお墓、そして家自体の維持も困難となる事態が発生し、「家の宗教」の崩壊を招きつつあります。経済至上主義の世となり、人間の限りない欲望を実現していくことが社会の目的となってしまった現代、「家」の中で培われてきた宗教心でさえも奪ってしまったように見えます。
しかし、いよいよ人々の苦悩が顕在化してきた現代こそ、仏教本来の信仰を取り戻す機縁が熟した時代と考えられます。
親鸞聖人が顕かにされた浄土真宗のみ教えは、阿弥陀様の眼(まなこ)に映る私の姿を教えていただく教えといえましょう。どのような者も決して漏らさず救いたいと願われる阿弥陀様は、私をどのような眼、お心でご覧になっているかを気付かせて頂く教えです。
阿弥陀様の眼に映る私の偽らざる正体に気付いたとき、苦悩の原因が私の煩悩にあったことが受け入れられ、同時にこの私を抱きしめてやまない阿弥陀様の無限に深いお心につつまれます。
そのお心は、具体的に南無阿弥陀仏という言葉となって私に届けられていました。国や時代を超えた真実の救いがここにあります。是非、聞き続けて頂きたい教えです。
さて、このような時代に、改めてお仏壇の意味を考えてみましょう。
お仏壇の前に座り、仏さまと向かい合い、阿弥陀様の眼に映る自分の姿を静かに探してみてください。苦悩の原因を他に押しつけ、欲望を実現するために血眼になっていた自分に気付くことができるかも知れません。お念仏(南無阿弥陀仏)を唱え、静かに礼拝するところに、不思議な安心感が恵まれることでしょう。皆さんも是非味わってください。
日々の生活の中に本当の豊かさを与えてくれる場として、ご家庭にあるお仏壇には大切な意味があります。
2018年4月19日